ゲームをやることって実は仕事よりすごいんじゃないか

小さい頃。
RPGやアクションゲーム、カードゲームなど、世の中には数えきれないほどのゲームがある。
GAME。素晴らしい響きだ。その世界にのめりこみ、多くの知識を蓄え、戦略を考え、他の人よりも強くあ
ろうとする。
そして大人になって語り合うのだ。その知識を、戦略を、歴史を。
しかし待て。
ゲームとは確かに娯楽のために生み出されたもの。
中には頭脳ゲーム、教育ゲームなんてものも存在するが、基本的には「娯楽」だ。
しかし、その娯楽につぎ込む時間と熱中度合が半端じゃない。
それだけゲームが面白いということなのだろう。
生きるうえでまったく必要のない知識と経験を必死になって頭に叩き込むのである。
楽しくないとやってられない。
・・・度が過ぎているとは思わないだろうか。
ただ単にプレイするだけであれば、ゲームとは娯楽。気分転換。遊び。
頭もそこまで使わない、時間つぶし。
しかし、ゲームとは一定のルールの則って作られている。
テレビゲームであればプログラムと数字でできている。
その数字の解析までやってしまう人がいるのはどういうことなのか
遊びの範疇を超えている。
やりこみプレイ、制限プレイ。頭がおかしい。
なぜ普通にプレイしようとしないのか。
そんなことしてるんだったら、仕事をしなさい。
仕事?
work。
いろいろな種類があるが、基本的で大事な要素としては「問題解決能力」や「知識量」や「夢中になるか」
など。
しかし、これらはすべて、ゲームと似通っているではないか。
ではゲームが熱中できて、仕事に熱中できないのはなぜなのか。
(仕事に熱中できている人は、きっと仕事でなくゲームだと思ってるのだろう。趣味だ趣味。)
「趣味を仕事にできたら最高だよね」
人は言う。
「仕事を趣味にするんだ」
とも言う。
ということはつまり、「仕事」も「趣味」も本質的には変わらないことをみんな理解しているのではないだ
ろうか。
違いがあるとすれば
「興味があるかどうか」
「お金が稼げるかどうか」
くらいなものな気がする。
書いてくうちに思いついたら追加する。
就職難の時代は過ぎ、今は割と仕事を選べる時代になっている。
それに加え、自分で起業するんだという人も増え、自立思考になっている。
仕事は自分で選んでいる。
選んでいるということは興味があるということだ。
ゲームも自分で選んでプレイする。
ここは同じのような気もするが・・・
別の視点から考えてみよう。
意図的か、指示的か。
能動的か、受動的か。
いろんな人が感じている部分だと思うのがここだ。
そう、ゲームは自分がコントロールしている。自分の意思で動き、自分のコントロール下にある。
ルールが与えられた上で、限られた範囲の中で最善を尽くす。
そしてゲームオーバーになったら次はどうすればクリアできるかの戦略を練って改善し、やり直す。
では仕事はどうだろう。
コントロールされている、だろうか。
上司からの指示をうけ、それ通りに行動するのが仕事?
果たしてそうだろうか。
ゲームとの関連性で述べるならこうだ。
ルール → 上司からの指示、仕事内容
キャラクターの操作 → 自意識
ゲームオーバー → 失敗
戦略改善 → 業務効率化、業務改善
形式だけ見ると、ゲームと仕事が似通ってはいないか。
そしてこの方式が顕著になるのが、「経営者」ではないか。
会社員は縛られるルールが多い。
会社自体にも縛られるし、上司にも縛られる、時間にも縛られる。
経営者になれば、その制約は減る。
会社員がRPGなのであれば、経営者はRPGツクールなのだ。
同じゲームでも、やることの制限が全く違う。
幅が広がる。
逆に、仕事として学ぶこともゲームに近しい部分が多々ある。
たとえばPDCAサイクル。
plan
do
check
act
これもゲームに応用できる。
つまり、この「誰が何をコントロールしているか」という部分についてもゲームと仕事はかなり似ている。
気持ちの持ちよう、考え方次第。
次の違いは「BGM」か。
アナログなゲームは別だが、テレビゲームにはBGM。つまり音楽がある。
戦闘があれば迫力のサウンドが心を揺らす。
宿屋に泊れば癒しの音。
敵城に入れば緊張感のあるBGM。
やはり、オフィス内でもイヤホンやヘッドホンをつけて、音楽と共に仕事をすることは必要だと思う。
周りの雑音が仕事を妨害しているのだ。
無音のゲームも、それはそれで緊張感はあるが、それもそのゲームならではのBGM。「無音」というBGM
なのだ。
ただ、ゲームのようにシチュエーション毎に音楽が変わるようにはならないか。
EXCELを立ち上げたら迫力のBGM、部長が来たら戦闘BGM、なんて・・・
楽しそうではある。
音楽で感情がコントロールされるなんてことも言われているし、いいのではないか。
「業務のみえる化」なんてことは昔から言われてることだが、「業務のゲーム化」を今後はぜひ進めていた
だきたい。
次は「お金が稼げるかどうか」。
一般的に、ゲームは娯楽。ただ楽しむだけのものなのでお金なんて発生しようがない。
もちろん、ゲームデバッガーやプロのゲーマーというちょっと特殊な人がいたり、スポット的にゲームにか
かわる仕事がでてきたりする。
ただそれの多くは継続的に収入が得られるものではない。検証だったり賞金だったり。
仕事とは、それを行うことによって誰かが得をし、その代価をもらう。
つまりは自分の技術と時間を他人に売る、ということになる。
その等式が成り立つからこそ、嫌々でも会社にいって業務をこなし、帰宅するという生活を続ける。
ゲームはどうか。
普通は金食い虫であるし、時間もつぶされる。
しかしそれでもやるのは「娯楽」であるからだ。
楽しみたい、仕事を忘れたい、好きなことに没頭したい。
そんな気持ちからゲームにはまる。
しかし、ゲームの中に仕事がある場合もあるではないか。
単純作業。体力的に疲れるわけではないが、労働もある。
地道にモンスターを延々と倒すこともあれば、レベル上げにいそしむこともある。
フレーム(60分の1秒)単位でのコマンド入力を極める格闘ゲーマーもいるし、もはや目で判断しておら
ず反射神経と記憶のみでプレイする音ゲーマーもいる。
ある意味、仕事と言ってもいいくらいの追及と労働をしている。
それは一重に楽しいから、負けたくないから、自分との戦いだから、と一言で片づけていいものだろうか。
今後の仕事とゲームの在り方
単純に労働、仕事は嫌だ。だがゲーム内なら楽しい。
この決定的な矛盾さえ解消できれば皆仕事に熱中できるはず。
つまり、ゲーム内で仕事ができる仕組みを作り上げることこそ、労働というものの革新だと思うのだ。
物理的に何かをつくることはできない。
だが、プログラムならできるではないか。
マインクラフトはその意味で非常に革新的だった。
今では教育にも用いられているし、ゲーム内とはいえあらゆる建造物を作り上げている。
プログラムによって仕組みの改善、発展もされている。
これを仕事にしない手はないではないか。
もちろん実際の建築物を作り上げるには物理的な問題が発生する。
だがそこはすべて「ゲーム」にしてしまえばいいのだ。
物理シミュレータなどいくらでもある。
ひずみや重力、建築に必要なものはすべてステータスにしてしまう。
また、建築に限ったことではない。
工場の生産性、拡張性、ラインの停止などの運用面。
これもゲームにできる。というか過去にいくらでもこういうゲームはあった。
そして、数えきれないほどの人がその運用に成功し、発展している。
ゲーム内で仕事をする。
バーチャルの世界で業務を行う。
非現実的と笑う人もいるかもしれない。
だが、20年前の非現実は、今の現実になっている。
0から1を作り出すことはとても難しいが、1から10は努力とひらめきで作れる。
ゲームという媒体も、バーチャルも、全て今は存在しているものだ。
だからこそ、今後は「ネット上では勇者」な人たちが活躍する世界になっていく。
逆に、リアルの世界にしか生きていない人は置いて行かれる。
そんな気がする。
良いにしろ悪いにしろ、映画マトリックスのような、アニメのSAOのような。
そんな世界になっていくと思う。
そして、個人の能力というものよりも、想像力であり、夢中になれるかであり、ハマれるかどうかが重要になってくる。
世の中は単純であり、且つクリエイティブだ。
仕事とゲーム、過去においては正反対ともとれるこの2つが、同義語になる日がくるかもしれない。
いや、自分がそういう仕組みを作る。
日々を楽しく、毎日が刺激的で、クリエイティブ。
世界はゲーム盤で、人生はゲームそのものだ。